高松地方裁判所 昭和37年(ワ)15号 判決 1963年5月30日
原告 辻善照
被告 国
訴訟代理人 村重慶一 外三名
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事 実 <省略>
理由
一、原告が一級国道一一号線(道路管理者建設大臣)に面する坂出市府中町六〇六一番地の一(国鉄予讃線鴨川駅附近)に、本件家屋を所有して、理容業を営んでいること、被告国(所管庁は、建設省中国四国地方建設局、工事担当は、同局香川工事事務所)の道路改良工事として、昭和三一年二月一五日から同月二九日までの間に、右国道について本件工事(路盤切下げ工事)が施行されたこと、本件家屋が本件工事前の道路と同じ平面の地上に建築されていたこと、本件工事の結果本件家屋と道路との間に高低差が生ずることとなつたため、原告が本件工事前の昭和三〇年一二月頃から、本件工事所管庁に対し、いわゆる「下げ家」をするための費用の補償要求をなし、再々協議を続けたが、所管庁は、本件家屋の出入口部分のみの補修工事には応ずるが、それ以上の補償には応じられないと主張し、両者間に協議が成立するに至らなかつたこと、原告は、昭和三五年二月一五日、被告を相手方として、高松地方裁判所丸亀支部に補償金請求の訴を提起し、以後請求原因事実第四、第五項記載のような経過をたどり、昭和三六年四月三〇日、香川県収用委員会が、国に対し、本件家屋の前面全部の改修工事費用として金一四三、七〇〇円の補償を命じ、同年六月二七日、原告が右金員を受領したことは、いずれも当事者間に争いがない。
二、原告は、原告が本件工事所管庁に対し補償要求をなしてから前記補償金を受取るまでに五年余の長年月を要したのは、請求原囚事実第六項記載のように、本件工事所管庁係官が故意または過失によつて、原告の補償要求を抑圧し、補償を遅延させたためであると主張し、被告はこれを否認するので、以下この点について検討する。
三、思うに、道路法第七〇条第一項は、道路を新設し、または改築したことにより、当該道路に面する土地の従前の用法による利用価値を維持するための工事費用の補償について定めておりいかなる程度の工事をもつて同項にいう「止むを得ない必要な工事」とみ、その工事費用中、どの限度における補償金或は補償金に代える工事をなすかについては、収用委員会の裁決を経、終局的には裁判所の判断によつて決せられるところであるけれども、右収用委員会の裁決、更には裁判所の判決を受ける事前において、当事者双方が、自由闊達に自己の意見、主張を表明し、できる限り話し合いによる早期解決をなすことが、円満な工事の施行および当事者双方の手続経済からも望ましいことであるので、同条三項において道路管理者と損失を受けた者との間の協議制度が設けられているのである。従つて、右協議にあたつては、当事者双方は、一応、自主的判断に基づき、正当と信ずるところの意見、主張を十分に開陳し、時により主張を修正、変更することは、当然法の許容するところといわなければならず、右協議過程において提示した主張内容が、後日、収用委員会の裁決或は裁判所の判決と合致しなかつたからといつて、その主張が不当であることが社会通念上明瞭な場合でない限り、独断的判断により相手方の主張を抑圧したということはできないと解すべきである。
四、そこで、本件工事所管庁係官が、原告との協議過程においてなした「本件家屋の出入口部分のみの補修工事で足る」との主張の当否について考えるに、前記のように、本件家屋が国道一一号線に面し、本件工事前の道路と同一平面上に建築されていたことは当事者間に争いがなく、また、検証の結果によれば、本件家屋の附近は、右国道(幅巾約一〇米を挾んで商店が多数並んでいること、本件家屋は、間口五間半の木造瓦葺二階建で、階下において理髪部を、階上においてパーマ部を営なんでいる関係から、出入口としては、理髪部のための間口一間と、パーマ部のための間口半間の二箇所が別個に設けられていること、家屋前面の北西端と南東端において差異はあるけれども、平均すると、本件家屋と国道の側溝との間に、約一米のコンクリートを施した部分(軒下)があり、本件工事後の本件家屋と道路との高低差は約四〇糎であることの各事実を認めることができる。而して、これらの事実を総合して判断するとき、原告に対する補償の程度方法についての判断は、収用委員会の裁決内容が、原、被告いずれの主張をも採用していないことからも窺われるように、中々困難であつて、本件工事所管庁のなした前記主張が明白に不当な主張であるとは到底いい得ないところである。従つて本件工事所管庁係官が、本件家屋の出入口部分のみの補修工事で足るとの主張を固執して終始原告との協議にあたつたからといつて、それは、法の容認する範囲内の自主的判断による主張と認むべく、必ずしも原告の補質要求を不当に抑圧した違法なものということはできない。
五、ところで、本件協議過程の経緯について考察するに、成立に争いのない甲第三号証、証人原節の証言の一部(後記信用しない部分を除く)、同石原義雄、同渋谷知治、同谷口正失、同旅田彦市の各証言および原告本人尋問の結果を綜合すると、
(1) 本件道路工事の直接担当者である中国四国地方建設局香川工事事務所は、本件工事を施行するについて生ずる補償問題について対処するため、昭和三一年一月頃、同事務所庶務課用地係長原節をして現地調査をなさしめるとともに、当時、広島市に所在した本件工事の所管庁中国四国地方建設局に右処理方法についての指示を求めたところ、同建設局は、同年二月頃、同建設局総務部付石原義雄用地官および谷口正夫用地課長をして逐次現地視察をなさしめるとともに、工事設計書を検討し、従来の取扱例等を参考にして種々考慮した結果、訴外香川音松、荒井明、中永善次郎各所有家屋については、本件工事の結果、路面と家屋との高低差が約一米内外に及ぶので、同人らが、いわゆる「下げ家」工事をなすのは、道路法第七〇条第一項にいう「やむを得ない必要な工事」に該当し、これに要する費用を補償すべきものと判断し、一方原告および訴外谷本一雄各所有家屋については、高低差が約四〇糎程度に過ぎないので、右「やむを得ない必要な工事」としては、家屋の出入口部分に対する補修工事をなす程度で十分であり、かつ、その補償方法は、補償金に代えて、本件工事をなす際に、工事担当者において右家屋の出入口部分に対する補修工事をなすことが妥当であると判断し、右の方針で補償関係者と協議にあたることとし、その旨前記香川工事事務所に対し指示したこと、
(2) 他方、原告は、予定どおり工事がなされた場合、原告所有の本件家屋は道路より相当高くなり、いわゆる「下げ家」をして改良後の道路と同等の高さにしないと、著しく営業に支障をきたすと考え、昭和三一年二月頃、前記香川工事事務所に赴き、前記原用地係長に対し、「下げ家」をなすに必要な費用を補償して欲しい旨申出たところ、右原係長は、前記建設局の指示を受けていたので、原告の要求には応じられない旨の回答をなしたが、その際法規上、高低差が一米以内の場合には「下げ家」補償はできないことになつている旨の言に及び、その後、原告の依頼により交渉にあたつた葛西県議会議員に対しても同趣旨のことを告げ、家屋の出入口部分の補修工事をなすことで折合つて欲しい旨申し述べたこと、
(3) 右折衝の間、前記工事事務所長より、本件家屋の出入口部分の補修工事をなすことの指図を受けた同事務所坂出出張所長渋谷知治は、本件工事に付随して右補修工事をなすため、本件工事の施行中、原告方に赴き、原告に対し、家屋の出入口部分につきコンクリートで階段を一段つけ、他を傾斜面にする旨の具体的補修方法を説明し、その補修に取りかかろうとしたが、原告は、かかる補修工事では満足できず、右工事を拒否したこと、
(4) 原告は、同年七月五日頃、坂出市図書館で開催された無料法律相談へ赴いた際、前記原用地係長が告げた内容の法規は存在しないことを知つたので、直ちに、前記工事事務所に赴き、同人にその点問責したところ、同人は、内規でそのようになつている故原告の要求には応じられない旨述べたこと、
(5) 更に、原告は、昭和三三年三月頃、田万代議士の宮丸秘書と共に、香川国道工事事務所(旧香川工事事務所)に赴き、同年九月一六日頃には広島市所在の中国地方建設局(当時、中国四国地方建設局は、中国地方建設局と四国地方建設局とに分離していたが、原告はそれを知らなかつた)に対し嘆願書を提出し、更に昭和三四年四月頃には、訴外旅田彦市香川県議会議員を通じて、香川国道工事事務所に交渉する等して、終始「下げ家」補償の要求を続けたが、結局両者間に協議が成立するに至らなかつたことの各事実を認めることができ、証人原節の証書中右認定に反する部分は、原告本人の供述と対比して措信できない。
右事実によれば、本件工事所管庁の主たる協議担当者であつた原用地係長が、原告との協議過程において、道路と家屋との高低差が一米以内の場合には、「下げ家」補償をなすことを要しない趣旨の画一的基準を定めた法規はもとより、建設省内部において、かかる趣旨の内規も存在していないにもかかわらず、右法規あるいは内規がある旨を告げ、原告の「下げ家」補償の要求を拒否したことは明らかであり、係官が協議をなすにあたつて、かかる虚偽の言辞に及ぶことはもとより許されるところではないけれども、右原用地係長の言動も、本件工事所管庁中国四国地方建設局が判断指示した補償内容の趣旨を告げるについての幾分行き過ぎた言動の域を出ず原告の補償要求を抑圧し、補償を遅延させる意図があつたものとは未だ認め難いところである。
のみならず、前掲認定事実を総合判断すると、原告の補償が遅延するに至つた原因は、原告と所管庁係官の各主張が、互に、自己の主張を正当と信じた強硬なものであつて、到底協議の成立する見込みが立たなかつたのであるから、より早い時期において、いずれか一方が、道路法第七〇条第四項に基づき、収用委員会に対し裁決の申請をなすべきであつたにもかかわらず、双方ともそれをなすことなく、四年余の期間を徒過したことにあるものと認めざるを得ない。
なお原告本人尋問の結果によれば、原告が、早期に、右裁決申請をしなかつたのは、同人が法的手続にうとく、裁判所に訴を提起するまで、裁決申請手続のあることを知らなかつたためであることが窺われ、若し、所管庁の協議担当者において、原告に対し右の手続を教示しておれば、原告が早急に裁決申請手続をなしていたであろうことは、容易に推認し得るところである。
一般市民は、通常かかる特殊な手続についての法的知識に乏しいことはいうまでもないから、所管庁の協議担当者としては、場合によつてはその手続を示唆し、或は、自ら裁決申請手続をなす等の配慮があつてしかるべきところ、本件協議過程において、全くそれがみられなかつたことは、真に遺憾なところである。しかしながら、担当公務員に、法的手続を一々教示する法律上の義務があるとはいえず、また、道路法第七〇条第四項、土地収用法第九四条第二項の趣旨よりして、協議が成立しない場合に、道路管理者の側において裁決申請をなすべき義務があると解することもできないので、それをしなかつたことをもつて、公務員の違法な職務執行とみることはできない。
六、而して、他に、本件工事所管庁係官が、故意または過失によつて原告の補償を抑圧、遅延させた事実を認めるに足る証拠がないので、原告の請求は、その余の点について判断するまでもなく、理由がないといわなければならない。
よつて、原告の本訴請求は、これを棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 浮田茂男 出嵜正清 原政俊)